京都村日記

第1回KYOTO猟師教室

KYOTO猟師教室が開校したきっかけは、昨今増え続けている「獣害被害」によります。
毎晩のように現れる鹿や猪に田畑を荒らされ、一生懸命育てた農作物を一晩で食い尽くされてしまう。しかし、それらの問題を食い止める猟師も高齢化や担い手不足で減少し、今や大きな社会問題にもなっています。

そして、食で溢れている現代において、私たちが当たり前に食べている食物は、どこで、誰が、どんなふうに育てたのか、あるいはどう加工したのか。ルーツを知らない、知ろうとしない人が増えたように感じます。

教室の開校にはこうした問題を一人でも多くの人に知ってもらい、猟師という仕事の意義、「いのちをいただく」ということの尊さ、厳しさをこの教室を通して学んでほしいという想いが込められています。

 

 

教室へは京都のみならず、他府県からも多くの問い合わせがあったようで、募集定員を大きく上回る結果となり、世間の関心の高さに講師、スタッフ一同にびっくり!

猟師教室【新聞記事編】
各メディアにも大きく取り上げられ、予想以上の反響に驚きを隠せませんでした。


参加者は、都市から田舎まで様々なエリアから参加されており、猟師になるかはわからないが興味があるといった人から、実際に猟師という仕事をしたいという人までと幅広く、とても新鮮な雰囲気に包まれていました。

 

授業では、座学、現場見学、解体処理、調理といった「捕獲から加工、販売まで」の一連の流れが学習できるプログラムが組まれ、2組に分かれ隔週の土曜日に1クラス10人で受講するといったスタイルでした。


まずは、猟をする上で知っておかなければならない基本的な知識を座学で学びます。例えば猟に必要な持ち物や獲物を捕らえた後の処理の仕方などについて、教科書と映像を用いて学習しました。

 


次に現場へ繰出す前にどんな方法を使って猟をするのか教わります。教室では「くくりわな」という罠のかけ方を教わりました。受講者のほとんどは狩猟免許を持っていないため、ガレージで罠の使い方と設置方法を学んだのですが、思っているよりも力や器用さが必要で、これがなかなか難しい…。

真冬でしたが汗をかいてしまうほどでした。

 

教室も後半に差し掛かると実際に猟の現場へ同行する授業が始まりました。単独で行う猟と、複数で行う巻狩り猟を見学し、これには参加者全員興味津々!

単独で行う猟は、罠にかかった獲物をスピーディに仕留め、全体的に時間との勝負、といった印象を受けました。とても手早いもので、あっという間の出来事だったように感じます。

 

一方複数で行う巻狩り猟は4~5人の猟師と猟犬を連れて山を囲い、獲物を追いやり捕獲するという方法で、みんなで連絡を取り合いながら各自の待機場所で獲物を待ちます。猟犬は獲物の気配を感じると吠え、仕留めるときは銃やナイフ使うといった狩猟法で、ものすごい迫力がありました。

 

はじめて猟に同行して、仕留める場面は覚悟していたもののやはり受けた衝撃は大きかったです。まだ小さいからといって逃がすこともできず、私たちの生活を守るためとはいえ、その光景は目を背けたくなるものでした。ですが同時に、見たくないものから目を背けて生きてきたことに気づかされたのもこの時です。これまでの食べ物に対する価値観が大きく変わるきっかけにもなりました。それほど猟から学び取ることが多かったのだと思います。

 

 

 

教室の最後は、仕留めた鹿肉を使ったお料理教室が開かれ、講師に鹿肉専門のお料理教室を開かれている林真理先生をお呼びし、本格的なジビエに挑戦!

普段使い慣れていない鹿肉で一体どんな料理ができるのか、どきどきわくわくしながら全員で一生懸命作りました。

出来上がったのは鹿肉のつみれ汁や、ホイル包み、ローストディアなどなど、これが鹿肉!?と疑ってしまうほどどれもおいしく、参加者はひたすら感動するばかり…。遠慮しながらも取り合いになる勢いで、あっという間にお皿はからっぽになってしまいました!

 

 

このようにこの教室の素晴らしいところは、ただ猟をするだけでなく、その後もきちんと処理できる、あるいは処理すべきだということを学ばせてくれるところだと思います。

普段食べている食物がどこからきて誰が処理をし、加工しているのか。一連の流れをこれほどシンプルに、また的確に学べる場はなかなかないのではないでしょうか。本当に素晴らしい教室でした。

 

 

【教室を終えて】

授業の中で獲物が罠にかかり、仕留めに行くという日がありました。現場へ行ってみるとまだ大人とは言えない小さな猪が罠にかかっており、素人目でも子供であることがわかりました。

私が狩猟をするということの意味、猟師という職業の存在意義を真剣に考えたのはこの時だったと思います。

獣害駆除に関してはいろんな意見があり、どの意見が正しいのか私にはまだわかりません。ただ、生きるということはきれい事だけではないということ、私たちの生活は生物の死の上に成り立っていること、それらを決して忘れず一人でも多くの人に伝えなければならないと思います。

猟を学ぶということは昔から営まれてきた自然の食物連鎖を知るとてもいい機会です。大量生産、大量消費で食物に対するありがたみや「いのちをいただく」という気持ちが薄れがちな現代に、新しい学びを提供してくれると思います。猟という経験は、私が思っていたよりも多くのことを知る機会であり、私たちが生きるために必要なものの尊さを教えられました。

ぜひ一人でも多くの人に経験してもらいたい教室です。2015年秋にも教室は開かれる予定です。みなさまも一度検討されてみてはいかがですか?

猟師教室【巻狩り猟編3】


2014.03.20 / KYOTO猟師教室